076【すれ違い】2022.10.19
この吊橋をわたると、羊腸谷の崖道か。旅人は眉のうえに手をかざして、向う岸を睨め回した。険阻で知られる蜀の道だが、旅人同士のすれ違いもできぬような難路には、もはやろくに近寄る者もなく、官憲の目をくらまさねばならぬ者にとっては、逃亡先としてはうってつけの場所ではあった。
しかも、幽霊すら出るという。
羊腸谷のようなすれ違いのできぬ道で、向こうからとこっちからとで人が出っくわしたらどうするか。体の大きい者が小さい者を抱きかかえて、ひょいっ、と向こうに渡してやるのである。それを、抱き返し、などと言ったりするというのだが、ときには悲劇が起きるときもある。ここでもあわれ崖下に転落した者は数しれず、なかでも思いの強い霊魂が、ときおり化けてでるのだという。
「人食い虎すらおそれぬ俺様だぞ……ひょろッひょろの幽霊なぞ」
旅人はドスンと地べたに金剛杖をひと突きすると、たよりなさげに向こう岸からぶら下がっている吊橋を、がたいに似合わぬ慎重さで渡りはじめた。
いまは修行者に身をやつしているとはいえ、この旅人、もとは武人。はるか足下に白く泡を噛む激流にも心動かず、時折の強風が橋をゆらゆらさせるのもすずやかにいなし、なんなく対岸にたどり着いた。
とはいえ、さても。本番はここからである。羊腸谷には真昼に到着できるように段取りをして宿を出てきたが、それでもすでにひんやりとうすら暗かった。高く切り立った崖が、はやくもお天道さまを邪魔しているのである。なんとなく靄りそうな気配もしていて、旅人は顔を顰めた。宿にもどって出直すというのも無いではないが、追っ手の懸念がある身であれば、前へ前へと進むしかないものとおもわれた。
・・・・
昔、書きかけて放置していたストーリーがあったので、思い出しながら書きました。だけど今回も、やっぱり書きかけでおしまいになっちゃった……
最後は「この旅人こそが、後の○○であった」的に結ぶことだけは決めてます。
10/19/2022, 12:58:07 PM