風信子

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「どうにも出来ない事って
あるのよ」


そう言って貴女は
僕を抱きしめていた
手を緩めた


時計に目をやると
ゆっくりと立ち上がり
鞄を手にして
僕を振り返る


泣き出しそうに
力無く微笑む貴女は
僕の胸に寄りかかり
それから


無表情に顔を上げ
瞳を震わせて
僕をじっと見つめ
また伏せた


何か言いたげに
ゆっくりと息を吐き
そしてそっと僕に
キスをした


最後の優しいキスを






遠い二人
ふいのメールから
時は動きだし


凍りつく寒さの中
白く白く全てを覆ってゆく
僕の知らない粉雪が
貴女の街を覆い始めたあの日から


貴女に送った写真にある
まだ春初旬の
白や薄桃色の桜が咲く頃まで


沢山の話をして
沢山の想いを分け合った





ホームで貴女を待ち侘び
初めて触れ合えた夜は
いつまでも続く時を信じてた


幾度目かの逢瀬
言葉は少なくなったけど
息遣いを感じる距離で
ずっと傍にいる安堵感に浸る僕に
「飽きたの?」
と貴女は拗ねた


約束なんかキライと言う
貴女に未来は話せず
二人で見たあの夏の花火は
図らずも
最後の思い出になった





見えない貴女の笑顔が
ここに当たり前になるように
僕はいつだって
いつかの未来を夢みてた


分かり合えた時間がもう
こんなにも早く
過去の思い出になる


こんな事ならあのまま
口に出さずにいたら…





小さくなって行く
貴女の後ろ姿に
僕は
どんな顔をしていたのだろう


言葉を探せない僕は
貴女よりも小さくなって
追いかける事も
手を伸ばす事さえも出来ずに
ただ
立ちすくんでいた


あの時
貴女の瞳が言葉を遮り
それが答えなのだと
頑ななその心を
映し出していたから…






貴女のいない部屋
静かに時間だけが過ぎる
巻き戻る訳もなく
まるで初めから
何も無かったように


知らぬ間に消えていた
貴女のアドレス
きっと貴女からの
最後の優しさ



もう
紡ぐ事の無い
貴女との時間


帰らない
どんなに望んでも



嫌という程
思い知らされて尚
この静寂に包まれた部屋で
今も求め続けている



二度と来る事の無い


二人の時間を






「静寂に包まれた部屋」

9/29/2022, 1:01:19 PM