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「ふきのとう」

アルツハイマー型認知症、とおばあちゃんが診断されたのは去年の春だったか。
それまで笑顔を絶やさなかったおばあちゃんは、近頃うつろな目をして座ったきりで、会話する量も減った。

僕は小さい頃から大のおばあちゃん子だった。
おばあちゃんの住む場所も好きだった。
おばあちゃんの家のわきから出たところに、小道があった。その舗装されていない急な坂道を下っていくと、そばで長く細い川が流れている。
昔は川の水を使って、洗濯や炊事をしたんだそうだ。
水流の少ない箇所には季節の草花が咲き乱れ、川からささやかな恵みを授かって生きている。
川のちょっと深い所からは、ときたま銀色に光る小さな魚の群れを見かけた。
おばあちゃんはトラックに積んできた大根を担いで川に降ろし、たわしでゴシゴシと擦り始める。
僕も見よう見まねでたわしを貸してもらったけれども、思うように土の色が取れなかった。
おばあちゃんの力強さに不思議と安心感を抱いた。
「もう少し暖かくなったら、おばあちゃんの特製おやきが食べたいな」
「そうだねぇ。ふきのとうを入れて、おまえが好きな味噌味に作ってあげるよ」
川の斜面につぼみを作っていた幼いふきのとうを見つけ、僕はおばあちゃんに微笑んだ。

そう言葉を交わした去年の春。

僕は平日の放課後、おばあちゃんの家を訪ねた。
通常はホームヘルパーの人が来るので、必要な家事は済んでいるが、今日は母さんがおばあちゃんの様子を見に行く日だった。
「お母さん、火は危ないから近付かないでって言ったじゃない!」
玄関のドアを閉じるやいなや、母さんの慌てた声が聞こえた。台所に駆けつける。
ざるに水で洗われた大きなふきのとう、その横に小麦粉の袋や出しかけの味噌や、卵が散らかっていた。ガスコンロの上にはフライパンが出してある。
おばあちゃんは、でも、と口にしかけて寂しそうに黙った。
僕は居ても立ってもいられなくなって、一生懸命呟いた。
「僕も一緒に作るよ」

それからおばあちゃんと一緒に食べたおやきの味は、今まで食べたおばあちゃん特製おやきよりも、ちょっとしょっぱくて、優しい味がした気がする。



お題: 涙

3/29/2025, 11:45:34 PM