【鏡】
◀◀【病室】からの続きです◀◀
尻切れトンボになっていた話がアランの不意打ちの問いによってふたたび引き戻された。急に話題が変わりはしたがヴィルケは落ち着いたもので、まだ赤味の残る顔でうなづいて確かな口調で淀みなく答えた。
「はい、二年ほど前に親会社のバルマーが主催した、関連会社の新人社員のためのオリエンテーションに参加したんです。その時の講師がアラン・ジュノーさん、あなたでした。……僕のこと、憶えていませんか?」
自分を見つめるヴィルケのまなざしが不安そうに曇る。そんな顔をされては、憶えていないなんてとても言えそうにない……なんとか思い出すんだ、アラン!自分に発破をかけるとアランはうつ向きがちに腕を組み、片手の親指を口もとにあてた沈思黙考のポーズで当時の記憶を懸命にしぼり出していった。
―― 二年前……あれは僕が初めて担当したオリエンテーション・ワークショップだったっけ…… たしか二十人程度の小規模クラスだったかな…… ―― そうだ、そのメンバーの中に筋のいい子が一人いたのを思い出した。手間のかかるバルマーのグループシステムを活用してデータをまとめる課題を出したとき、時間はかかったけど一番最初に正解を出したのがその子で……エクセレントなその子のスキルを僕は絶讃して…………そうだ!
思い出した!
「 ―― お見事、エルンスト。君は出来る人だ!」
その瞬間の記憶が脳裡に鮮やかによみがえった。エルンスト・ヴィルケ ―― 彼だったのか……腕組みを解いたアランは感慨深かい気持ちでヴィルケに向き直り、その時彼に捧げた称賛のセリフを再現して言ってみせた。ようやく完璧に思い出してくれたアランに感極まったのか、不安をすっかり払拭したヴィルケは満面に笑顔を輝かせて身を乗り出し、
「そうです、僕がそのエルンストです!そしてさっきみたいに、僕をブラボー!と褒め称えてくれたんですよ、アラン!」
よほど嬉しかったのだろう。はずんだ声で喜びを伝えると、次の瞬間、ヴィルケは情熱的なハグでアランの身体を抱き締めていた。
突然の予期せぬ出来事。なにが起こったのか、追憶の旅から戻ったばかりのアランの脳ではすぐに把握できずにいた。が、目線の先にあった窓をふとよく見るとそこに、自分を抱き竦めるヴィルケの若い背中が鏡のごとく映し出されているのを確認し、我が身の置かれた奇妙な状況をしっかりと理解することができた。
(……よく壁に、僕の頭を打ちつけさせなかったもんだ……)
ヴィルケのハグの力加減の良さに感心しながら、アランも彼のひよこ頭へ手をやり、幼い子をあやすような手つきでそっと撫でてやった。
▶▶またどこかのお題へ続く予定です▶▶
8/18/2024, 4:08:08 PM