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海の底

「人魚姫の最期は、どんな景色だったのでしょうね」

 さざなみが僅かに聞こえる海岸で、海を見つめながら彼が言った。綺麗だとか、ちょっと寒いだとか、無難な言葉は山ほどあっただろうに。

「なんすか。こんな時でも暗いやつっすね」
「そういう生き方をしているんです。致し方ないことでしょう? 貴方はどう思いますか」

 僕はどう思うか。目の前の彼の考えだって聞いていないというのに? 自己中心が過ぎるぞ、と言ってやっても良かった。だがこんな静かな場で声を荒げる気にもなれない。結局は彼の思い通りになる形で、僕の思考は姫の最期に埋め尽くされていた。

「暗くて、何にも見えなかったんじゃないすか」
「ありきたりですね」
「おまっ、人に聞いといて何様っすか」
「海の底は暗い。その概念から離れたことを俺は聞きたいんですよ。もう一声といきましょう」
「捻くれた先生みたいっすね、お前……」

 彼の笑みは意地悪げだった。無難に答えたらつまらなさそうにされた。考える。考え尽くす。感じたことなんてない海の底を想像する。

「……宝石」
「へぇ?」
「宝石が、見えたかもしれないっす」

 宝箱いっぱいの宝石。泡に囲まれて消えた彼女。煌びやかに、それでいて儚げに。最期を終わらせたのではないだろうか。そんなことはあるはずもないのだが。

「貴方という人は。ロマンチストで実にご都合主義な考えをお持ちなのですね」
「あー、何言ってもそんな感じっすか。いいじゃないすか、最期くらい良いように考えても」
「そうですか。……それもまた、貴方らしい」
「はいはい。お前はじゃあ何だと思うんすか?」

 何が言いたいのか分からない彼との押し問答は、最早ウンザリだ。話を切って今度は僕が弄ってやろうと考える。

「光で満ち溢れていたと思いますよ」
「真逆にしときゃいいってもんでもないんじゃないすか」
「そして喜びのまま消えたでしょうね。最期の最期、光に包まれていられたのですから」
「……それこそご都合主義っす」

 勝手に感情を作り出すなど、それこそ主観的だ。そう意見すると彼は呆れたように息を吐いた。

「ええ。全てはそういうものですからね。俺たちは海の底を知りませんから」
「もう何なんすかお前!」
「次来ることがあれば、底に近づくのも有りですよ。いかがなさいます?」
「……遠慮するっす。別に興味ないんすから」

 まだ見ぬ海の底。見ることがない海の底。現実で燻むくらいなら、理想で彩った方がマシだ。ましてや彼とは見たくなかった。そう、彼とは。

1/21/2024, 4:23:11 AM