落ちていく、彼の腕の中へ。
微かに鼻腔をくすぐる、甘酸っぱい苺の香り。この香りを私は知っている。1週間前ほど前、クリスマスコスメとして発売された香水の香り。
香りは、私を目がけて放たれる。鼻を通り口を通り、耳も毛穴も、体中の穴という穴から私を犯していく。
太腿に帯びた熱は、徐々に上へと昇っていた。それから逃げるように空気に触れる私の上半身。それでも尚、体から熱は消えない。少しして、空調がいつもより暖かい事に気がついた。
視線の先には人間の顔。顔、と言うより、目と鼻と口と青髭とその他、と形容する方が正しいのかもしれない。天井の照明が月明かりのように輝き、彼を後ろから照らしている。まるで皆既月食みたいだ。いつか彼も、お月様みたいに禿げちゃうのかなー、なんて。
「なに、反応悪くね?」
私の反応が普段より悪いことに対し気を悪くしたらしい。私を見下げたまま、彼は訝しげに目を細めた。太腿に置かれていたはずの両手はいつの間にか下腹部へと移動している。
「別に」
彼と1mmより近い距離で交わる度、彼とひとつになれないという現実を突きつけられる。強制的な快楽に身を委ね心を溶かそうとも、彼を侵食する事は叶わない。日が昇るまでの契約関係。流れる時間は形を持たず、隙間からどろどろと零れていく。これが夢なのか現実なのか、夢であって欲しいのか現実であって欲しいのかすら曖昧で不確か。
「…ねえ、私の事、好き?」
その言葉が利敵行為になる事を、私は重々承知していた。それでも私は、今目の前で息を荒らげるこの男が、私の創り出した空想なのか否かを知りたくなってしまうような馬鹿な女だった。
「ん、めっちゃ好き」
ねえ、誰の事思い浮かべて言ってんの。
私の声は、果ての見えぬ闇へと堕ちた。
11/24/2023, 11:40:11 AM