【終わりにしよう】
糸に冬で終わり。
たった今テーマとしてやってきた『終わりにしよう』という味気ない一文。それを穴が開くほどじっと見ていると、どうして「終わり」という字は糸に冬なのだろうと考え込んでしまう。
そんな、一つの疑問から生まれた、私の考え。
糸というものは何かを生み出すときに使われる、言うなれば軸とも言える存在なのだと思う。
その軸とも言える糸がなくなって仕舞えば、縫い物は終わってしまうし、なくならなくともその糸で玉止めをして縫い物を終わらす。
糸とは終わりにする為のものとも言えるのかなと思ってしまう。
そして次に冬。
春夏秋冬という言葉がある通り、冬というのは一年の締めくくりに使われる。
冬は夏や秋に伸び伸びと育った植物たちを寒さや雪で覆い隠してしまう。それはなんだか今までの一年間をリセットしているかのようで、面白い。だからやはり冬というものは全てを無かったことに、終わったことに、というような一年の終わりの象徴と考えられたのかなと思う。
そして今まで話した終わりの象徴達を合体させると『終わり』という文字になる。日本語って面白い。
そして終わりというのは始まりということなのだと、私は思う。
縫い物だって糸から何かを生み出すし、季節だって、冬が全てリセットしてくれるから始まってくれる。
何かが終わったからこそ何かを始められる。
だから人間は次に進むために、
『終わりにしよう』と言うのだろうか。
そうだと私は、少し嬉しい。
7/15/2024, 11:44:30 AM