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「いかないで」

いかないで。行かないで。逝かないで。
言葉にしたそれはあまりにも重くて、唇が戦慄いた。

当然、彼には彼の理由があって。
吐き出した言葉がどれだけ無責任かなんて分かりきっていた。そして、きっとどれだけ言葉を連ねたって、彼は行ってしまうことも。
それを裏付けるように、今だって。
困った様に笑いながら、

「ごめんな」
「…謝らないでよ、」

情けなく歪んだ顔で最後の抵抗とばかりに虚勢を張る私は、さぞ滑稽に映っているだろう。
くしゃりと柔らかく頭をかき混ぜられると、いよいよ鼻の奥がつんとしてきて、ああ、どうして今は雨じゃないんだ?

どうしたって止められないのなら、いっそ言ってしまおうか。
困らせたって、知るものか。どうせ行ってしまうのだし。
叶うなら私を彼の中で残してくれと、そう願わずにはいられなかった。

「ねえ」
「なに?」

そうは思っても、やっぱり少し怖くて。つめたいアスファルトを見つめたまま、息を吸い込む。

「多分、…好きだったんだと思う」

声が震えていることは、伝わってしまうだろうけど。

「だから、わがまま言った。ごめん」

言い訳のように言い添えてしまえば、ついに十数年拗らせてきた初恋は暴かれた。

何と言われるだろう。
嫌悪か、或いは失望がいいところだろうか。
それでもいい、ただきみの中に私が残るなら。

そうひたすらに待つけれど、人気のない場所、どちらも何も発しないから、しんという音まで聞こえてきそうだ。


そうして二人の間に静けさが落ち、腕時計の秒針が2回ほど円を描いた頃。
耐えきれず見上げた彼の瞳に、初めて後悔を見た気がした。

10/25/2023, 1:24:46 AM