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【 麦わら帽子 】


潮のかおり。
気がつくと僕は見知らぬ海岸にいた。
寄せては返す波の音を聞きながら考える。
ここはどこだろう。
知らない海岸。だけど確かに知っている。
強い風が吹き、飛ばされた帽子を追いかけ僕は走る。慣れないビーチサンダルのせいで転んでしまう。
慣れないビーチサンダル?
ビーチサンダルなどもう何年も履いていない。
転がる麦わら帽子を拾い上げ、思い出す。
ここは僕が失くした記憶。

赤いリボンが巻かれた子供用の小さな帽子。
僕は確かに知っている。
この帽子の持ち主を。
ふと、記憶がとめどなくあふれだす。
ヒト夏の思い出。
日焼けたはにかんだ笑顔のあの子。
うだる暑さと風鈴の音。
扇風機とスイカと宿題と、夏祭り。
夜空に打ち上げられる花火と高揚していく心。
いつも隣にいた顔のないあの子の顔。
夏の終わりに海に消えた麦わら帽子。
もう逢うことのできない麦わら帽子。

僕はもう一度その懐かしい麦わら帽子を目に焼き付けて、力強く風に飛ばす。
帽子は風に舞い上がり、ゆっくりと海に落ちていく。
やがて帽子は波にさらわれ、しばらくゆらゆらと揺れていたがやがて沖に流され消えていく。

「 さようなら。」

僕は呟く。あの時、伝えられなかった言葉を。
夕日の浜辺はただ波が寄せては返すだけで、何も答えてはくれない。
僕はまた歩きだす。
きっと今度は忘れない。
あの麦わら帽子の赤いリボンを。

8/11/2024, 10:52:03 AM