おれ

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子供の頃は自由だった。それは行動の制限などではなく、子供の頃の思考の仕方だったと思います。多くの人は「昔はあんなことが出来た、許された」と自分や周りについてのことを思うでしょう。確かにその通りです。子供だから許されていたことも多いでしょう。しかし、深く考えればそれよりも、もっと自由に行えていたことがあるのではないでしょうか。それが思考、自分自身の心であり考え方であったと思います。なんのしがらみもなく深く考えず責任や重圧を知らない、たとえ少しはあったとしても今ほどではないでしょう。「ああしなければいけない、こうしてはならない」などそれほど考えなかったのです。
みなさんは子供の頃水溜まりのなかに飛びこんだことが1度はあるでしょう。それは行動の「出来た、許された」ではなく、そのあとの事象を「考えない、考えなくて良かった」ではないでしょうか。歳をとった私たちはその後どうなるか、足が濡れて気持ち悪くなったり、服を洗わないといけないと考えてしまいます。それが子供の頃にあった自由を無くしてしまったのです。「出来た、許された」の前には必ず「考えない、考えなくて良かった」が存在したのです。
子供の頃は自由だった。この「自由」に含まれる意味は様々でしょう。しかしその「自由」の前の根幹であり真の意味はその子供故の「考えない」ということなのでしょう。

6/23/2024, 2:37:44 PM