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遠い日の記憶

このアプリを始めたことによって、遠い日の記憶、というテーマで何か文章を書く必要が生じたことが、代わり映えない日々を新鮮なものにしてくれるという良さがある。

遠い日の記憶、ということの定義を、というよりは自分がどう解釈するか、できるのか、を考えるに、一番素直な解釈は、最も古い記憶について語ることだろう。

私の最も古い記憶は、何歳の頃だったのかわからないが、幼稚園に入る前、父親が引っ越しの準備で棚の高い所から荷物を降ろそうとしているところに後ろから、子供が乗る車(正式名称を調べたらコンビカーと言うらしい)に乗って近づいたら、父親に「危ないよ」と言われたこと。なぜ覚えているのか推測するに、普段優しい父親からの、初めての拒絶ともとれる反応だったからだろう。

他に、遠い日の記憶の解釈としては何があるだろうか。

厳密さを求めるなら最も古い、と言うべきところを、あえて遠い日と言うことで幅を持たせた出題者の意図を汲むと、最も古い記憶を書くのではない別の解釈をしたいところだ。

例えば最も遠くに行った日。
遠くのものを見た日。
遠い日の記憶、というと過去のことに限定されそうだが、未来でも遠いという点では同じにできるのでは?
つまり10年前を遠い日の記憶としてあげるなら10年後でも距離は同じだ。記憶、というところが難しいが。

例にあげた全て書いてもいいが、このアプリがどれくらい長く書けるかわからないのでこれくらいにしておこう。

7/17/2024, 8:13:48 PM