🐥ぴよ丸🐥は、言葉でモザイク遊びをするのが好き。

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095【あなたとわたし】2022.11.07

「これはいわゆる、まいない、というものだと理解しましたが?」
畳の上を滑らせるようにスッと差し出された厚みのある封筒を、水上代議士は一瞥するなりそう言った。
「私も、清潔、の一枚看板で、有権者の皆様からご支持をいただいている存在です。自らその存在意義を損壊するようなことは、いたせません」
「……ですよね……」
しかし、そのような拒絶は刈谷も折り込み済みである。
「では、寄付として」
「同じことです」
水上はにべもなかった。
「現在私たちは、あなた方の関与の疑いが濃厚な汚職を追求しているのです。ここでこうしてあなたとの歓談に応じていること自体が、私にはすでにリスクです」
「承知しております」
刈谷は頭を下げてみせた。
「ですがこの町は、いまだに、農作業から帰ってきたら軽トラの運転席になにやら包があったりするようなところです。しかも、それを選挙の時にはつきものの臨時収入とすら見なしている……バレはしません。それに、バレたところで、なんの波風も立ちはしません。そういう町です」
と、ズイっと封筒をより水上の方に突き出した。しかし、
「どのような不正も、明るみに出ない、ということはない、と私は思います」
水上代議士には、いささかも動じる気配はなかった。
「もし私が受け取ったら、その時点で、この不正はもうすでにふたりの人間が明らかに知っていることになります。それは、あなたとわたし、です。このふたりがじっと口を閉ざしてこの不正を墓場まで持っていけるか。残念ながら、私はお約束できません。ひとりが口を滑らせたら、知る人間はたちまち三人になります。三人にもなればあとはねずみ算式でしょう……人の口には戸は立てられぬ、とはよく言ったものです」
畳の上の封筒から身を遠ざけるように、水上は膝をにじらせた。
「故事の通りに、天知る地知る、とまで言うのはいまどき流石にナンセンスだと思いますが、それを受け取ったことでたとえわずかでも私の様子が変化したら、この店の従業員がまちがいなく気が付きます。それはマスコミのためにわざわざ足跡を残すようなものですよね」
まさに立て板に水、淀みなく言い終えると、水上は、
「私はここで失礼させていただきます……これ以上ご一緒しても、フェアにお話はできそうにありませんので」
と、さっさと座を立ち部屋を後にしてしまった。後ほど確認したら、水上は、勘定もきっちり自分の分は支払って帰ったとのことであった。
刈谷は、拍子抜けしたように、しばらく動けずにいた。それから、畳の上に置き去りにされた封筒をしまい、しびれが切れた足をいたわりながら膝を崩した。
影に回って賄賂の工作をすることなど、刈谷にはもはや慣れたものであった。だが、不正を口外せぬとは約束できない、などと真正面から言い切られるとは。こんなことは、これが初めてであった。
空間には、いまだ、水上の清爽さの残滓のようなものが漂っているような気がしてならなかった。その爽やかさに、まさか、自分が動揺している、とは、意地でも認めるわけにはいかなかった。なんとなく、いまこの場に居残っているのは、あくまでも、足のしびれがとりきれていないせいだ。刈谷はおのれに言い聞かせた。言い聞かせながら、微妙にしびれの取れぬ足の感触に悩まされ続けていた。

11/7/2022, 2:47:28 PM