『巡り会えたら』
死にたいと思った。
この世界から消えてしまいたいと。
何か辛いことがあった訳では無い。
だが、幸せなことも無かった気がする。
朝起きて仕事に行き自分の職務をこなし、定時に上がって一人暮らしの家に帰り眠りにつく。
ただただ『普通』の生活を過ごす毎日。
いつからそう思い始めたのか…。
思い出せないのはそれぐらい前からなのか、無意識に考えていたからか分からない。
気づいたらその思いは自分で抑えが聞かないほど大きなものになっていたのだ。
思い立ったが吉日という言葉を思い出し、規則通りの手続きを済ませ退職し急いで身辺整理をして後腐れが無い状態にした。
少しの罪悪感も湧かない自分に驚いてしまったが、もう後戻りは出来ないしするつもりもない。
最期は綺麗な星空を眺めながら海の中で迎えたいと思い、調べた良さげな場所へ行くことにした。
身軽な状態で電車に揺られ知らない土地へ向かう。
日が落ち月が上り始めた頃その場所に着く。
ちょうど天気が良く満天の星が見える日だったらしい。
満月の明かりで多少は霞んで見えてしまうが、それでもあまりの星の多さに声が出ず眺めていると声をかけられた。
「綺麗ですよね、星も月も」
誰もいないと思っていた為驚いて振り返ると、そこには自分と同じく身軽な格好をしている人が月明かりに照らされて居た。
返答に困っていると続けてその人は言った。
「あなたもですか」
それは一体何を指す言葉なのか、驚いて固まってしまった自分には理解が出来なかった。
が、少ししてその人も自分と同じ目的なのだと察する。
「こんな綺麗な満月とたくさんの星に見守られる最期なんてとても素敵だと思いませんか」
目も合わせず数多の星を眺めながら尋ねてみた。
「えぇ、そうですね」
小さく笑いながら答えるとその人は一歩足を進めた。
「まさか最後に同じ感性の方に出逢えるとは思いませんでした…」
表情はよく見えないが凄く嬉しそうな声でその人は呟いた。
「私も星、好きだったんですよね」
そう言いながらその人は着々と目的地まで歩みを進める。
黙って自分も足を進めた。
気がつけばもうそこには真っ黒な海が広がっていた。
隣には名前も顔もよく知らない人が立っている。
不思議と黙っていても居心地が良かった。
最期だからなのかもしれないけれど、こんなに落ち着く人は初めてかもしれない。
少しばかりの後悔が生まれた。
お互い一言も言葉を発する事無く今にも降ってきそうな星を眺める。
「星、綺麗ですね」
その人からこぼれ落ちた言葉は目の前の海に吸い込まれた。
「月も綺麗ですよ」
自分からこぼれ落ちた言葉もその海は逃さず奪い去る。
そしてどちらからともなくお互いの手を取り合った。
強く繋いだ手を握りしめたあと初めてしっかりとその人の顔を見た。
何も知らないその人の体温を手から感じ何故か涙が溢れる。
その人は眉を下げて困ったように笑っていた。
「行きますか」
その人は言った。
「行きましょうか」
自分が言った。
2人同時に身体が宙に浮く。
固く繋いだ手はそのままで、満天の星と綺麗な満月をバックに大好きな海へ身を委ねた。
水中の中で意識を手放す前に目に映った景色は知らない誰かの泣き笑う顔と淡く光る満月だった。
ーあぁ、名前も素性も知らないけれどもっと早くこの人に巡り会えていたのならばこんな選択は選ばなかったかもしれない。
10/4/2023, 6:55:33 AM